top of page
執筆者の写真用務員

令和6年度寺子屋吉岡「木下と霞ヶ浦水運」(最終回)~霞ヶ浦(西浦・北浦)北岸巡見~

当塾副会長である村越博茂氏の企画運営による令和6年度寺子屋吉岡「木下と霞ヶ浦水運」の総まとめとして、全六回講座の講師としてお招きした鉾田市・かすみがうら市・小美玉市・石岡市の各歴史博物館等施設や河岸跡をバス旅で巡見しました。

訪問先は鉾田市生涯学習館(とくしゅくの杜)・鉾田市田山家門(徳川慶喜が幕末訪れた家)・新堀河岸等跡、かすみがうら市歴史博物館・歩崎公園、小美玉市資料館・小川河岸跡、玉里史料館・高浜河岸跡で、霞ヶ浦北部の江戸・明治の時代に舟運の盛んであった地域を現地の学芸員の皆様の丁寧な解説をいただきながら巡りました。

古くは「常陸国風土記」の時代から徳川御三家水戸徳川家の時代に続く歴史のある地域で、一日では到底学びきれない興味の尽きないフィールドワークでした。


明治半ばから昭和初期まで利根川と霞ヶ浦は蒸気船による舟運ネットワークが張り巡らされその足跡を辿ります。


訪問先の博物館、資料館等では詳細な資料も用意していただきました。


朝7時に木下駅前を出発、総勢20名余、利根川から霞ヶ浦へ向けて約200kmの旅の始まりです。



この企画・運営にあたった村越副会長のツアー詳細の説明が車内で行われました。

かつては高瀬舟、木下茶船、蒸気船が行き交った利根川下流部を今はスポーツフィッシングのボートが疾走していました。

最初の訪問地は鉾田市生涯学習館「とくしゅくの杜」、旧徳宿小学校の校舎を利用し活動する市民学芸員の皆様に迎えていただきました。

手作りの鉾田周辺の河岸のジオラマを前に市民学芸員の方々による解説を熱心に拝聴。12月15日まで「鉾田地方の江戸時代の舟運とくらし」展が行われていました。


江戸時代の終わりを告げる「大政奉還」の後、水戸から駿府に向かために水戸から鉾田、銚子を経る船旅の途中に泊った田山家の門構え

市民学芸員の濱田氏による鉾田地方の河岸跡を実地学習、近くには田山花袋も利用した河岸もあったとのこと。

1987年(昭和62年)築の城郭型博物館であるかすみがうら歴史博物館に到着、この地域は筑波山麓から霞ヶ浦北部に張り出した半島で風光明媚な土地柄です。

今期寺子屋第2回講師である千葉館長に展示解説いただきました。圧巻は実寸3分の2の大きな帆を持つ帆引き船の展示です。現在は観光帆引き船としてその美しい容姿が湖上で見られます。


天守からは関東でもほかに類を見ない絶景が見られ、霞ヶ浦の湖面から筑波連山、遠く富士山まで眺望できます。

小美玉市小川図書館資料館を訪問、小川郷土文化研究会のメンバーの案内で館内を見学後、歴史的建造物の残る小川の町並みを歩く。

水戸藩の御用河岸としての性格の強い小川河岸跡を見学。「水戸藩御手船船頭」は武士の身分で重用され、利根川を行き来した史料も少なくなく、木下河岸にも停泊していたらしい。

小美玉市玉里史料館では今期寺子屋講師本田氏に館内展示解説をいただいた。

隣接する文化ホールの緞帳には当地出身の滝平二郎「筑波夕照」の切絵の大作が描かれている。

帰路のバスの中で、今期寺子屋吉岡「木下と霞ヶ浦水運」講座の受講生に修了証書が手渡されました。参加された皆様、ご協力頂いた博物館・資料館等の関係者の皆様、厚く御礼申し上げます。

かつて香取の海の時代に関東に一大文化圏があった名残の一部を体験学習しました。その土地どちから見える筑波山がそれぞれ異なり、美しい姿であったのは印象に残りました。

閲覧数:14回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page